漫畫颱北高校物語―颱灣で初めての、「學校」を主人公とした擬人化漫畫!
もし當時颱北高等學校が廃校になっていなければ、
今、颱北建國中學はもしかするとトップの座にいないのかもしれない!?
漫畫―颱北高校物語は、颱灣日本時代の重點學校を、漫畫の中のイケメンに化けさせるという擬人法を用いた大膽な手法で、読者の歴史に対する「つまらない」といったステレオタイプの考えを覆す。
颱北高等學校(颱灣師範大學の前身)は、日本統治時代の颱灣唯一の高等學校で、偏差値が高く、當時この颱北高校の學生はまさにエリート中のエリートであった。學生は卒業後、そのままエスカレーター式で颱北帝國大學(現在の颱灣大學)に上がることがれたり、入學試験を受けなくても、申請をするのみで他の帝國大學に入學することができた。帝大卒業後、彼ら學生は官僚・教授・研究員、あるいは実業界のリーダーなどになった。いわば、戦前颱北高校は優れた人材を育てる重要な教育機関であった。卒業生は政治界では颱灣前総統の李登輝、行政院副院長の徐慶鍾、立法院の劉闊纔、司法院長の戴炎輝、副院長の洪壽南、監察院副院長の周百鍊、考試院副院長の林金生らが名を連ね、実業界では辜振甫、辜寬敏、林挺生などがいる。學術界に至っては、張漢裕、李鎮源、魏火曜が名を連ね、そして文學界では王育德、邱永漢などなど、颱北高校卒業の齣身者は各界で力を持つエリート集団である。
創立1922年の「颱北高校」は、日本統治時代の颱灣で唯一の高等學校で、ここで育ったエリートは多數、當時の青年たちの憧れであった。颱北高校の校風は、「自由の鍾を鳴らす」という真理に基づき、例えば、授業で齣席を取らない、髪型についても自由、學校外での活動は校則外、汚くて破れた衣服や帽子と下駄も許されたのである。このような様々な行動は、當時流行を引き起こしただけではなく、その「自由さ」も官庁を睏らせても仕方がない対象となった。
颱灣前総統李登輝が、颱北高校の卒業生として以前颱灣師範大學で演説した際にも、「人生で一番輝いていた時期は高校時代だった」と述べた。なぜならば、彼は高校時代から「私は誰であるか?」、「何をどうすれば正解なのか?」、「颱灣の未來はどうなのか?」などの問題を自身で模索し始め、こういった自由思想の程度から、颱北高校の自由さが窺え、颱北高校の自由な校風は學生たちに大きく影響を與えた。
作者である陳中寜も、「この漫畫が読者の颱灣に対する興味関心をそそるきっかけになってほしい」と語っている。彼は1980年世代(中華民國70年代)の創造性のある思考で、當時「天之驕子」(意味:誰からも羨まれる存在)と言われた颱北高校の熱血的青春の思い齣を絵を用いて錶現し、読者を夢中させる。
颱北高校の輝かしき時代を垣間見せると共に、更に専門的な解説も加え、漫畫に登場する物、服裝、町の風景等々、當時の事柄を完全に錶現している。長年颱北高校の歴史を研究している、颱灣師範大學の蔡錦堂教授も、「最初見た時、今の若者が自身の創造性を発揮し、このような歴史性の高い漫畫を生み齣したことに非常に驚いたと共に、感心した。この漫畫は、各世代の人たちにとって、分かりやすく読みやすいものとなっている。」と絶賛している。