西川満研究:台湾文学史の视座から

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具体描述

本书主要蒐集、窥探日治时代的日人作家西川满在台湾的文学活动与创作轨迹。借由系统化的资料整理与文献探讨,作者不仅自台湾文学史的视角,描绘了西川满接受台湾文化及文学影响的历程,也善用西川满之一手资料,强调其创作与台湾这块土地之间的密切联系,对于台日文学关系研究具有一定的学术贡献。

  本书は、今まで日本文学史书に全く见出すことのできなかった日本领台时代台湾における文学活动の记録を、散乱した资料の中から蒐集し、整理し、系统化させ、その时代における日本文学活动の轮郭を描きだしました。

  その中で、风云を叱咤する宠児のごとく出现し、未だ十分に灌漑されていない土壌に文芸の花を咲かせ、论议を招いた西川満という作家の真の姿を明らかにしました。
 

著者信息

作者简介

陈藻香(Chen, Tsao-hsiang)


  1932年生于台湾宜兰县宜兰市。台湾师范大学教育学士、东吴大学日本文学硕士、博士。着有《日本领台时代の日本人作家ー西川満を中心にー》(日文)、《野上弥生子の台湾観ー纪行《台湾》を中心にー》(日文);编译磺溪文学《翁闹作品选集》(与许俊雅氏共作);监制《西川满着『华丽岛民话集』与『华丽岛显风录』(中、日文对照本)》等书。作者自1955起,即任教于兰阳女中、东吴大学、真理大学等高中暨大专院校,并于2002年从真理大学退休。

  1932(昭和7年)、台湾宜兰县宜兰市に生まれる。私立东吴大学日本文学博士、修士。国立台湾师范大学教育学士。着作に『日本领台时代の日本人作家―西川満を中心に―』、『野上弥生子の台湾観―纪行「台湾」を中心に―』、磺溪文学『翁闹作品选集』编译(许俊雅氏と共作)、『西川满着『华丽岛民话集』及び『华丽岛显风录』(日、中文对照本)』监制等がある。1955年より、省立兰阳高女、台北市立商业学校、私立铭传商业专门学校、私立东吴大学、私立真理大学等での教职を経て2002年真理大学より定年退职。
 

图书目录

序论
一、はじめに
二、台湾文学の定义について
三、台湾文学史の时代区分について
 
第一章西川満の人生の足迹
一、はじめに
二、生诞前史から早稲田入学までの歩み
三、早稲田时代の出会い
四、台湾时代の出会いと文艺活动
 
第二章西川満文学における作品研究
一、论説
二、神仙故事と民话/风土と民俗
三、翻译
四、随笔
五、诗篇
六、短编小説
七、长篇小説「台湾纵贯铁道」
 
第三章文学史における西川文学の位置と意味
一、西川文学における思想的基盘
二、西川文学における表现世界
三、文学史上における西川満の位置付け
 
【主要参考文献】
あとがき
人名索引
事项索引
 

图书序言

序论(抜粋)

  1987年、台湾における40数年にわたる戒厳令が解除され、台湾人が台湾人として自分の考えを忌惮なく吐露できる时代となった。しかし、文献记録に残る台湾の400年の歴史をふり返ってみると、无所属时代は别として、オランダ、ポルトガル时代から、郑氏时代、清朝时代、日领时代を経て、国府时代に至るまで、台湾は、常に外来政権によって统治されてきたので、政権担当者に気兼ねせずに意见を吐露できる时代は一度もなかったのである。

  今日、政治の改革に伴い、各分野の脱皮が急ピッチに进められてきている。国会での発言や、マスメディアの情报面は言うまでもなく、民族的なイデオロギーや、アイデンティティの问题に直接络む文学研究の分野でも、过去の抑圧と屈辱から脱却して、自主性に富んだ研究がなされるようになった。しかし、その研究対象の殆どは、台湾人の台湾文学にスポットを当てた研究である。それは当然、そうあるべきではあるが、一方、真の台湾文学を理解するためには、今までの外来政権が、为政者としてどう行动したか、それぞれの时代の台湾人の文学に、どのような影响を及ぼしたかということについて研究することもまた不可欠のことであり、それを否定することはできないであろう。

  日领时代、为政者の侧に立って展开された文学活动も、台湾人の文学活动と切り离して考えることはできないはずである。しかし、1990年前后の现时点での台湾文学研究の文献を通覧すると、台湾人によって书かれたものにせよ、その他の国の人によって书かれたものにせよ、その殆どが台湾籍作家の研究に集 中している。たまには日本人作家についての研究も见ることはあるが、それは「蜻蜓点水」式のものであったり、作品の内容や主旨の考察を怠り、「皂白」を分けず、日本人作家であれば、徒らに帝国主义の傀儡と认定し、一律に骂倒さえすればよいというような倾向さえも见られる。この现状は、心情的には理解できないことはないが、公正な研究という立场からは、満足すべき现状とは言いがたい。

  一方、日本文学史の流れから见ても、日领时代の台湾において、日本人の文学活动がなかったわけではない。にもかかわらず、中央重视、主流本位という通弊から、それを日本文学史、または日本の中央文坛の一端に见出すのは「登天の难さ」である。今日、われわれは歴史の流れの一点に生きる台湾人として、谁もがかつて己の土地に起きた、良きことと悪しきこととを问わず、その点々滴々を后世に伝える责任を负わされている。その中で文学研究に志すもの、特に日本文学を学习するものとして过去をふり返るとき、欠いてはならない部分―日领时代の文学に関する研究―が非常に乏しいことを発见する。笔者は本稿において、台湾の研究者たちや、日本人研究者によって、従来あまり言及されなかった部分をとりあげ、台湾におけ50年の文学の流れを明らかにし、その流れの中で、特に论议を招いた西川満という作家をもう一度见つめなおし、评価の再确认を试みたい。また、台湾文学を论ずる上でも、「日领时代の日本人文学」を明らかにすることによって、真の台湾文学の姿も初めて浮彫りにできると信ずるものである。

  笔者がこのような発想に基づき、博士论文の制作を试みたい由を、修士时代から指导を承けてきた蜂矢宣朗教授に申し出たところ、次のような教示をいただいた。ここで拙意を补う师の言叶として、その一部を提示させていただくことにする。

  日本领台时代の台湾文学に関する研究の现状は、残念ながら満足すべき状况にあるとは言えません。戦前にあっては、中央文坛から远く离れた地方文学として、戦后にあっては、过去の植民地に取り残された日本语文学として、日本文学研究の中心的课题とはなり得ませんでした。そのうえ、日本人研究者の侧には、植民地の统治者侧に立ったという罪の意识がありますし、また、台湾人研究者の侧には、かつて中国の敌対国であった日本の皇民化政策に追従した(させられた)という耻の意识がありますから、过去の日本文学に触れることを避けようとする倾向があります。ですから、主として抗日文学という侧面だけが取り上げられることになりがちです。このような民族的、政治的な视点だけから试みられる文学研究には、どうしても公正纯粋な判断の眼を昙らせることになります。戦后50年、戦后処理の诸问题の総决算が叫ばれるとき、文学研究の场においても、広い视野と深い洞察力と、公正な判断力とをもって、新しく、正しい総括が期待される时期が来ていると言えるでしょう。(「あなたの努力によって」―笔者の追加)これから、更に充実した研究の完成が期待される所以であります。

  笔者は、このささやかな研究において、师の期待に些かなりとも応えることができれば、望外の幸とするものである。
 

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